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吉田松陰の教えを現在の人財育成法に変換したら?

タイトル画像:吉田松陰の教えを現在の人財育成法に変換したら?

吉田松陰が今の時代のビジネスリーダーならば、どうやって社員の心に火をつけるのか?
松陰を尊敬するわたしにとって永遠の研究テーマです。

そこで今回は、15年以上にわたって吉田松陰を研究してきたわたしの人財育成法について述べていきたいと思います。

初期教育はいかに仕組みを作れるか

入社90日間の教育を仕組み化や体系化することにより、どの店舗に配属されても、どの店長に教わっても、そこそこのレベルまで育成できるようになります。

仕組み化というと現場の作業量が増え、大変そうなイメージがありますが、一度仕組みを構築してしまえば、現場の負担を間違いなく半減させることができます。

たとえば今まで二重で教えていた時間が削除できたり、定着率があがることにより新人スタッフを教育する時間が減ったり、さらに同じツールを使うことによって店長がいなくても、アルバイトリーダーでも新人教育ができるようになります。

人財をひとり立ちさせるゴールが10だとしたら、仕組みを作ることによって1から6までの教育は圧倒的に現場の負担を減らすことができ、さらに最短で基礎を身につけることができます。

そして3ヶ月間の初期教育が終え、7の段階にギアを入ったら、それ以降は理念やコンセプトを実現させるという目的に合わせて、吉田松陰流の教えが有効になります。

人財教育における奇跡の学校

「人財育成において、日本史上最強の指導者は誰か?」

という質問を多くの経営者や経営コンサルタントにしたら、その多くが吉田松陰と答えるでしょう。

わたしの尊敬する歴史上の人物は吉田松陰です。
26歳のときに吉田松陰のことを知ってから、先生の教育の極意を探求するためにその教育法を研究してきました。

松陰は幕末、2年4ケ月でいう短い期間でいまの山口県萩市に私塾を開き、92名の田舎の若者を育てました。

そしてただ育てあげただけではなく、先生亡きあと、幕末から明治にかけての乱世に日本を牽引していったリーダーを多く輩出しました。

この事業のなかで先生のすごいところは、優秀な若者を先生から集めたのではなく、志の高い地元の若者が自らの意思で先生の元に集まったのです。

当時はいまでは考えられないくらい身分階級が厳しかった時代です。

そんな時代でありながら、先生は万人平等の精神で、下級藩士の子も、足軽や農民や商人の子なども身分を問わず受け入れましたのです。

後にこれだけの無名な若者を、短期間で世に輩出した例は皆無なのです。
まさに【人財教育における奇跡の学校】と呼んでいいでしょう。

画一的な教育ではなく個性を伸ばす教育

では松陰の教育法はどのようなものだったのでしょうか?

これを一言でいうとしたら【画一的な教育ではなく個性を伸ばす教育】となるでしょう。

現場店舗に置き換えるとしたら、【目の前のお客様を喜ばす】という目的に対して、そのやり方は各自に任せるということです。
だからこそやり方や方法は無数にあるのです。

その子の個性や長所に合わせて【目の前のお客様を愚直に喜ばす】

それを追求させる環境を作ったのです。

これが松陰流の人財育成法です。

この長所を伸ばすという育成法は先哲・偉人に共通しています。
たとえば佐藤一斎や森信三、経営者であれば松下幸之助、経営コンサルならば船井幸雄も同じ教育法を取っているのです。

つまり個性を伸ばす教育こそ、人財育成の原理原則となるのです。

人間は暗示にかかりやすい動物

「松下村塾」。

その名のとおり、松本(松下)村の小さな塾です。
十坪ほどの小さくて粗末な塾舎。

松下村塾写真

松下村塾は、明治維新を語るとき、松陰を語るとき、決して見逃すことのできない存在です。

松陰が叔父の久保から「松下村塾」を引き継いたときの門下生は村の子どもたちだけでした。

松陰主催の松下村塾のキッカケになったのは野山獄を出てから、自宅監禁の中、父や兄に対して続けた『孟子』の講義です。
松陰の講義は単なる解釈ではなく、現在という時代での身の処し方にからめた話が多く、近所に住む子供たちに深い感銘を与えていきました。

つまり、口コミで門下生が増えたのです。

そのころ松陰は幽閉の身だったため、藩への届け出は表向き叔父の久保のままです。

しかし、実質的に主宰者になった松陰は『松下村塾記』を作り、自らの教育理念を掲げたのです。
彼はこの中で、なんとも予言めいた言葉を書き示します。

それは長門の国の萩は日本の僻地にあり、久しくここから優れた人物があらわれていないが、いま、その前兆が見られると前置きして、天下の英才はきっと僕の元から育つと予言し、松下村塾のある萩城下東外れの松本村を、小さな村だが、必ずやこの日本国の根幹にならん!と断言したのです。

これはホンダを作った本田宗一郎氏は、まだ創業して間もないころ、まだ町工場同然の会社で朝礼の度にみかんの空き箱の上に乗って世界一を目指す!と宣言した事例や、ソフトバンクの孫正義氏が創業初日、アルバイトの人たちを前に、みかん箱の上に立ちわが社は5年以内に100億円、10年で500億円、いずれ1兆円企業になると演説した話に似ていますね。

人間は暗示にかかりやすい動物です。
リーダーは集団を鼓舞する言葉がいかに大切かわかります。

松下村塾は人間性を磨き合う人間道場

松陰は村塾の教育理念を、「学は人たる所以を学ぶなり」としました。

これは人と生まれたからには、人とはどうあるべきか、この世の中で何をなすべきか、それを学問しながら追求しようというものです。
要約すると「人の道を学ぶ」ことを目的とした私塾なのです。

松陰は学問をすることの肝心な点は「自分を磨き、高めること!」としました。

「学問の道」とは、人と禽獣(鳥と獣)とではどこが違うのかを知ること。
その違いは、五倫(父子の親・君子の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信)、五常(仁・義・礼・智・信)を守っているかどうかとしたのです。

五倫写真

人間は常に「人間としての自覚」を忘れてはいけない。
本能のままに生きていては、禽獣と何ら変わりがない。

「それを知ることができるのが、学問だ!」というのが松陰の論理です。

このように塾生たちはみな学者になるために学問をしたのではありません。
あくまでも現実の世の中と関わりながら、現実をよい方向へと変えていきたい、そうした思いで生涯学び続けたのです。

このように松陰の松下村塾は、師弟とも単に学問をするためではなく、“人間性を磨き合う人間道場”として開塾したのです。

まとめ

私は考えました。

なぜ松陰はあれだけ多くの若者を短期間で育てることができたのか?
これを現在の人財育成に置き換えるとしたらどうなるか?

いろいろな答えがあると思いますが、わたしが研究して感じた点は5つです。

  • 人間という動物は暗示にかかりやすいこと
  • 人は目的のために生きると強くなれること
  • 自分以外のものを守ろう、助けようとした瞬間に潜在能力が発揮されること
  • あらゆる生物、とくに人間は逆境のときにこそ成長すること
  • 人間のセルフモチベートは、自らの磨き、高める行為だということ

これらのことを初期教育が終えたころから教えていくと、人は驚くほど成長していきます。

成長していく部下の姿を見てつくづく思うことは、やはり人間は社会性の動物で、人や世のなかのために生きないと心が満たされないということです。

これら教訓は先人・偉人がわれわれ子孫に残した英知です。
現場を変え、会社を変え、社会を変えていくためにそれぞれが小さな一歩を愚直に行動していくことですね。


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加納 聖士